未来の創り方

プロローグ
CCCマーケティング総合研究所は、生活者のみなさんが暮らす「まち」の明るい未来創りに貢献したいという想いのもと「暮らす人と共に歩み、共に考えるシンクタンク」を目指しています。「まち」には、生活者を中心にビジネスや、地方自治体、公共団体など地域の経済を支える多くの関係者が存在しています。「対談・未来の創り方」では、未来のまち創りに取り組んでいる方をゲストにお迎えし、未来創りへの想いや意義をCCCマーケティング総研所長の新橋と共にお届けします。

今回は、農林水産省で農業デジタルトランスフォーメーション(以下「DX」)に取り組んでいるデジタル企画官阿部明香氏をお迎えし、農林水産省の取り組み、そして地域農業とDXの現状についてお届けいたします。
 

IT技術での原体験

新橋:いつから農林水産省での仕事に関わっていらっしゃいますか。

阿部:農林水産省で、2019年の10月に全省庁に2番目(1番は経済産業省)にデジタル政策を推進するチームが正式に立ち上がりました。デジタル政策は行政官がもつ農林水産行政知識だけでなく、最新のトレンドや技術に関する知見が必須です。そのため、民間人材も採用することとなり、私も縁があって農林水産省に民間からの人材として2019年11月にジョインをしました。

新橋:農林水産省に入省するきっかけは、どういったものだったのでしょうか。

阿部:理由は2つあります。
1つは、自身の幼少期の体験です。実家が酪農をやっているのですが、30年ほど前のWindows95が出たくらいの時に酪農でシステムを活用した経験です。乳牛は餌の食べ具合や体調等の個体管理が肝心であり、さらに、毎日大きい生き物相手にするのですから、体力がいるきつくて休めない仕事です。アメリカの経営を参考にITでの管理や機械を導入することで個体管理やきつい仕事が効率化するだけでなく、結果的に経営規模拡大もできて経営も拡大できました。その経験によって、ITはさまざまな業界で適応できるのではないかと考え、ITを学びました。
もう1つは、大学卒業後にITコンサルティング企業で仕事をしていましたが、より社会全体や民間の人たちが行動している枠を超えて社会を変えていきたいと考えていました。そのために行政の中でのDX推進に可能性を感じて、現職につきました。

2030年、農業DX構想の具現化を目指す

新橋:農林水産省さんでは、農業DX構想を掲げられていますが、この構想はどのようにスタートされたのでしょうか。

阿部:民間企業では中期経営計画を策定し、その計画に基づき経営や事業を推進していくと思いますが、農林水産省でも食料・農業・農村基本計画を策定し、政府が中長期的に取り組むべき方針を定めて、情勢変化等を踏まえ、概ね5年ごとに変更しております。新たな計画は2020年3月31日に閣議決定されました。
その中で、基本計画の検討において勘案すべき「食料、農業及び農村をめぐる情勢の変化」として、デジタル技術の著しい発展やその積極的活用が大きく進展すること、デジタル技術の積極的な活用を前提とした施策の方向性を示す必要性が明記され、農業のDXを進める内容が初めて記載されました。さらに、それを実現するための施策の方向性として農業DX構想を2020年3月に公表しました。これは、大きなポイントだと私は捉えています。

新橋:農業へのDX活用となると非常に広い範囲になると思うのですが、特に主眼を置かれているポイントとはどこになりますか。

阿部:大きく3つあります。
1つめは、新しい技術の導入です。
現在、農業の労働力不足や農業従事者の高齢化の課題は、農業現場の農業従事者の平均年齢が67.8歳(令和2年)になっていることです。10年後は、更に高齢になる可能性があり、これまでの人手に頼る農業では農業生産の維持が難しくなってしまうのではという危機感があります。そのため、積極的な新しい技術の活用による農業生産の革新が求められていきます。
2つめは、データを活用した新しい価値を創っていく農業です。生産技術の革新と併せて、農業を成長産業にしていくには、農業者の頑張った成果が認められ、また消費者のニーズを的確にとらえて新しい価値を提供していけるような農業へ転換を進めなければなりません。そのためにはデータの活用は必須であり、それこそが新たな農業への変革(デジタルトランスフォーメーション(DX))を実現した姿だと考えております。
農林水産省では、それを実現するために農業現場での技術導入や普及を推進しています。

新橋:実際に農家さんが新しい技術や、データを活用して、新しい農業の姿を模索しているところですね。

阿部:3つめは農業行政のプロジェクトです。
農業の現場だけが変わるのではなく、農業行政自身がデータを活用し現場の課題を的確に把握して、農業者、地域、食を支える事業者等の活躍を後押しするような効果的な政策を提供していく必要があります。このため、農林水産省の行政サービスのDXも同時に進めています。例えば、農林水産省には様々な制度があり、約3000の申請手続きがあります。今までは手続きを紙で行っており、農業者や現場の事務を担う地方行政官の負荷がかかっていました。
このような申請手続きについても、全てオンライン化出来るように進めています。また、農業においては農地の情報は重要で、様々な制度にも利用されています。現状ではこちらも紙の地図で運用されており、情報が有効活用されていません。農地の情報も同様に整備・デジタル化していくプロジェクトも推進しています。

新橋:大きなチャレンジですね。

阿部:そうですね。
そのほかにも、農業DX構想では農業現場や農林水産行政のプロジェクト、さらには流通のプロジェクト等、現在39のプロジェクトを推進しており、さらに増えています。
農業の現場と行政が、デジタル技術やデータを使ってつながり、新たな価値を生み出していく農業の実現、先ほどご説明した農業と現場と行政をつなぐオンライン基盤の構想であったり、農地の情報を整理する様なプロジェクトであったりと様々ですが、これらのプロジェクトが農業DXを実現する大切な柱になっていくと思います。

新橋:どれくらいの期間でゴール設定をしていますか。

阿部:農業DX構想自体は、2030年を見越しています。


農業DXは、農業の経営改革の手段

新橋:ここからは、実際に農家さんとのお取り組みについてお伺いしていきたいと思います。
農業は、地域と大変密接だと思うのですが、具体的に生産革命を行っていこうといった目標を持って農業を推進している、モデルエリアなどはあるのでしょうか。

阿部:スマート農業の実証は農業者や自治体、民間事業者等でコンソーシアムをつくり地域の農業モデルに取り組んでいます。品目や地域によって様々な技術を取り入れての取り組みになりますが、現在約180プロジェクトが進行中です。

新橋:農業DXを推進されるタイミングはどんなきっかけが多いのでしょう。

阿部:民間事業者でもDXは経営を改革するための手段としてとらえることが多いと思いますが、農業においても同様です。
例えば、農業経営規模の拡大時、また、事業継承交代を契機にこれまでのノウハウを継承するために導入というきっかけです。
規模の拡大時というのは、大規模の農家さんは圃場を100以上持っている場合もあります。家族経営ではノートや人の記憶で管理できましたが、この規模になると従業員がいたりしており、播種、追肥、農薬散布のような工程を管理することは不可能です。よって、圃場の作業管理を従業員にシステムを利用して管理する形に移行されるようです。作業の生産性の改善にも役に立っているケースもあります。
また、事業継承のときにおいては、農園主が何年もかけて培ったノウハウがあるのですが、そういったものをデータ化し、「見える化」することで、次世代に伝える。そうすると、収益化を実現するまでの修行期間が短縮されるのではないかと思います。さらに、地域の新しい収益源の柱をつくるために、これまで地域で栽培していなかった農産品の栽培に挑戦する、その際にデータやデジタル技術を活用しているような地域もあります。

新橋:経営の効果は、割と早く出るのではないかと思いますね。「見える化」することで、判断やノウハウが伝承し効率化できそうです。このように農業のやり方が変わってきていることによって、若い方々が農業に参画するなど、そんな動きはもう既に出てきていますよね。


農業の未来は人材・サービスの育成もカギ

新橋:農業分野全体でDX推進したほうが良いというのは、間違いないと思うのですが、ただ、地域に落としたときの課題が、いろいろあると思います。どんな課題があるのでしょう。

阿部:課題はいくつか存在しています。
1つめは、趣旨とはずれるかもしれませんが電波の問題です。
例えば、自動トラクターを活用する際にGPSを受信しトラクターを制御しますが、地域によっては電波が届きにくいエリアがあります。中山間地や過疎化地域にこそ自動化の技術が必要だと思うのですが、より電波が届きにくい。

新橋:掲げている世界と現実のギャップが大きい問題のひとつですね。課題が山積し、乗り越えなくてはいけないところに実はITの壁があるという。

阿部:2つめは使いやすい仕組みへの改良が必要だと思います。
利用者が使いやすいUIやUXはもちろんです。
例えば、季節ごとに取れた出荷量データを蓄積することは基本となると思いますが、特に繁忙期では昼は収穫、夜は出荷作業のように朝から晩まで働き詰めです。そこからさらにアプリに入力する、といった作業は簡単ではありません。なので、簡単なUIであったり、つい使いたくなる仕組みが必要ではないかと思います。例えば、選果(集荷した果物をM、Lでランク付け)を画像認識のAIで実施して選果作業を効率化して、この結果を農業者にフィードバックするといった仕組みがあれば、頑張りが正当に評価され改善につながるから、データも蓄積したくなる、といった循環ができるのではと思っております。
3つめは、資金面だと思います。一台の自動トラクターは、普通のトラクターよりも国産ですと2百万円ほど追加で価格が高いです。お試しで気軽に購入できる価格ではありませんよね。
しかし、これらの課題を解決するためにシェアリングサービスが展開されてきています。
自動トラクターやドローンといった機械などのシェアリングだけではなく、それを扱う人材も合わせるサービスもセットです。今までは、オペレーターやコントラクターといわれる業務委託のようなサービスはありましたが、労働力としてのサービスが主眼だったと思います。これからは、農業のデータを分析してレポートをしてくれるような人材・サービスの提供といった事も行われていくと思います。

新橋:まさに頭脳の部分を作り出す、供給する仕組み作りも進んでいこうとしているということですね。生産のサポートをする、改善をする、ここにITを掛け算する、片側では新たなインフラを活用するための頭脳を育て、共有していく。

阿部:頭脳とサービス、クラウドサービスのように高い機材を買う時代から利用する時代になりつつあるのではないかなと。それが新しい農業DXの一つの姿になるかもしれません。
 

新橋所感
農業とIT— 一見すると遠い組み合わせですが、この遠い組み合わせが実現できたときに大きな成果が得られると感じます。農業は慢性的な人不足、高齢化という課題を抱えています。せっかく育てた産品を収穫するタイミングで人手が不足し、大変な苦労をされているケースを多く聞きます。一時的な人の確保と言うのは簡単ですが、なかなか実現してこなかった姿を見ています。こうした農家さんのご苦労も自動機械に代替する、作業軽減を図るといったことが出来れば農業に触れてみようという心理的なハードルもさらに下げることが出来、人手不足の解消につながっていくかもしれません。DX推進というとどちらかというと、どう仕組みを構築し、組み込んでいくかということが先行されがちですが、阿部さんのお話を伺い、それを支える人づくりの重要性を改めて痛感したところです。

阿部明香氏プロフィール
農林水産省 大臣官房デジタル戦略グループ デジタル政策推進チーム デジタル企画官
北海道の酪農家出身。外資系IT企業及びコンサルティングファームにてテクノロジーを活用した戦略立案、マーケティング、オペレーション改革やシステム導入のコンサルティングに従事。2019年11月より現職。動物は牛よりも猫が好き。

新橋実プロフィール
CCCマーケティング総合研究所 所長
国内外のコンサルティング会社、シンクタンクに所属。デベロッパー・テーマパーク・ラグジュアリーブランド、百貨店、ホテル、レストラン、カフェ、ショッピングモール、電鉄、エネルギー、食品メーカーなど、川上から川下まで多様な領域のコンサルティングを担当。


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